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東京高等裁判所 平成5年(う)570号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中、被告人チャリー・メノール・ガルシア、同ラモン・シー・バリニギットに対し各四五〇日を、被告人アルトゥール・ジ・ララナンに対し四四〇日を原判決のそれぞれの刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人ガルシアについては弁護人福島武司が提出した控訴趣意書、同補充書に、被告人ララナンについては弁護人秋田一惠が提出した控訴趣意書、「補充書」と題する書面に、被告人バリニギットについては弁護人中村文則が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官堀内國宏が提出した各被告人についての答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  訴訟手続の法令違反の主張(福島弁護人提出の控訴趣意書第二の三、第三の一、三、同補充書第三、秋田弁護人提出の控訴趣意書第一、第二、第六、中村弁護人提出の控訴趣意書第三)について

1  論旨は、要するに、

(1) 被告人ララナンにつき、同被告人はイロカノ語しか理解できないのに、捜査官はタガログ語及び英語で取調べを行った上、原裁判所はタガログ語により公判審理を行い裁判をしているものであり、理解できない言語で取調べ及び裁判を行い、憲法上被告人に保障された反対尋問権、弁護を受ける権利、公平な裁判を受ける権利を侵害しているから、裁判が存在しないに等しいといえる点において、

(2) 被告人らにつき、当該被告人の捜査段階における各自白調書は、取調べに使用された言語についての当該被告人の理解力、表現能力が不足し、かつ通訳の正確性、公正さを欠く情況の下で作成されたものであり、捜査官の見込みに基づく誘導や創作にかかる内容が記載されているにすぎないもので任意性がなく、さらに被告人ララナンについては、その自白調書は取調警察官から首を吊ると脅迫されて供述した内容を録取したものでこの点からも任意性がなく、いずれも証拠能力がないのに、これらを証拠として採用している点において、

(3) 被告人ガルシア、同バリニギットにつき、当該被告人を除く被告人ら及び原審相被告人らの検察官に対する各自白調書は、供述者の言語能力や通訳に関する右と同様の理由により特信性がなく、さらに原審相被告人ガロットのそれは同人が取調警察官から暴行を受けたために供述した内容をそのまま録取したものであってこの点からも特信性がなく、いずれも証拠能力がないのに、これらを証拠として採用している点において、

いずれも判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

2  そこで、検討すると、一般に、捜査及び公判においては、被疑者や被告人が十分に理解できる言語についての適切な通訳人が得られる限り、その言語による通訳人を介した取調べ及び公判審理を行うことが望ましいが、そのような通訳人を得ることが困難な場合等には、被疑者や被告人が理解でき、意思の疎通ができる他の言語により取調べ及び公判審理を行うことも許されるのであって、ただ、その言語の使用によって、取調べや審理に誤りが生ずるようなことがあってはならず、また被疑者、被告人に対する権利の保障が不十分になる結果を招くようなものであってはならないことはいうまでもない。

ところで、まず、被告人らのタガログ語の能力につき考えるのに、本件においては、被告人らは、いずれもフィリピン共和国イロコス地方の出身であり、通常イロカノ語を使用している。しかしながら、フィリピンでは、タガログ語(厳密にはフィリピノ語)が公用語として用いられ、被告人らも小学校でこれを学んでおり、社会生活上広く使用され、いろいろな場面でこれに触れる機会がある上、被告人ララナンは、タガログ語が使用されるマニラで三年間にわたり働いたこともある。そして、原審の公判における被告人らに対する被告人質問は、すべてタガログ語でされているが、その公判調書速記録には、質問に対応した答えが記録されていて、よく噛み合った内容になっており、問い答えのつながりも滑らかで、いわばよく流れていることが認められる。すなわち、質問の意味が分からなければ、これに答えられなくなり、質問が分からないといって聞き返すか、その意味を推測して適当に答えるしかなくなるのであるが、後者のような応答であれば、問いと答えとが噛み合わなくなることが頻繁に生ずるはずであるのに、被告人らにつき、いずれもそのような箇所は稀であることが、原審速記録の記載自体から明らかである。加えて本件の事案の内容は、日常生活の場における比較的単純な行動や心理が問題となるものであり、基本的な語彙で表現することができると考えられるものであって、その叙述のためにとりわけ高度の言語能力を必要とするものとはいいがたい。そして、共謀の有無や各自の役割などの重要な点になると、いろいろな角度から質問がされ、確認を取りながら質問を進め、裁判所もその場で質問を補充するなどして適切な答えを得るように努めていることが認められる。被告人らの話すタガログ語が通訳人に理解できるものであったことも、通訳人が被告人らのタガログ語の供述を格別の苦労もなく通訳している状況から、これを認めることができる。このような審理の状況からして、タガログ語の使用により意思疎通が困難になったり、被告人としての権利保障が妨げられるような事態には立ち至っていなかったことは明らかといわなければならない。

被告人らのうちでは、被告人ララナンのタガログ語の能力が最も低いように窺われるところ、その原審における供述状況は、確かに答えが比較的短いということはいえるものの、問い答えの流れが混乱するという状況はほとんどなく、通訳された質問内容を理解した上で答えていることを認めることができる。同被告人は、当審において、捜査段階や原審公判では、タガログ語による質問の意味が分からないにもかかわらず、適当に、はい、はいと答えていたと供述しているが、原審速記録によれば、質問に対し否定の答えをしていることも少なくないばかりか、答えたくないと思われる内容の質問に対しては、答えを避けているところから、質問の意味をおおむね理解して答えていることが窺われるのであって、タガログ語による意思疎通に特に支障があったとは認めがたい。なお、イロカノ語の通訳により行われた当審においても、被告人ララナンは、口数が少なく、口ごもるように答えることが目立っているが、イロカノ語の理解は十分できている以上、右のような受け答えは、むしろ同被告人の性格、表現能力、答えることの当否や結果を思案しながら答えていることなどに起因するものと考えられるのであって、原審でそのような答え方をしているからといって、それをもってタガログ語がよく理解できないことを示すものとはいいがたい。

すなわち、被告人らにつき、タガログ語の理解力が乏しかったとは認められず、所論のように公判審理がタガログ語を介して行われた結果その審理が適切に行われなかったものということはできない。このことは、原審相被告人ガロット、同アガディールについてもいえる。

3  なお、弁護人らは、原審公判手続におけるタガログ語の通訳人の通訳の能力、正確性についても疑問を提起しているので、検討を加えておく。

先に述べたような原審速記録に現れた問い答えの対応関係や質問の進行状況に照らし、原審通訳人が法廷における通訳人として十分その任務に耐える能力、適性を有していたと認めることに問題はない。次に、その通訳の正確性について見ると、もともと、通訳ということは、原供述が通訳人により記憶、記銘されその意味を把握した上で別の言語でこれを表現するものであるから、原供述がその過程で多かれ少なかれ変容を受け、場合によっては不正確になることを避けられないという事情がある。特に、長く複雑な構文による質問や答え、あいまいであったり趣旨の分かりにくい質問や答えなどが、すべて正確に通訳されているかどうかということになると、これらには通常通訳に困難が伴うことが考えられるだけに、不正確な通訳がされるおそれを否定することができない。また、長時間の質問等の場合には、その間に細部で誤訳が生じないとも限らない。本件においても、一部不正確ではないかと思われる部分がないではなく、誤訳ではないかと疑われる箇所がないともいえない。しかしながら、原審速記録を子細に検討してみると、一応不正確ないし誤訳と疑われる部分のうち少なくとも重要な点や微妙な点については、これを放置することなく、当事者が別の問い方や別の角度からの質問をすることにより趣旨を確認したり、正しい答えを引き出すような試みをし、裁判所からも補充的に質問するなどして、趣旨を明確にする等の是正措置がとられていることが認められる(例えば、弁護人らの指摘する、被告人バリニギットの原審供述中の、アガディールが「暴れたら押さえて、私に任せて。」と発言したという点についても、後の詳細な質問により意味が明確にされている。)。したがって、原審通訳人の通訳に一部誤りがあるとしても、これは本件の審理、判断に影響を及ぼすほどのものではないと考えられる。

4  次に、捜査段階における供述調書のうちタガログ語の通訳によるもの、すなわち被告人ら及び原審相被告人らの検察官に対する各供述調書並びに被告人ガルシア及び原審相被告人ガロットの司法警察員に対する各供述調書(ただし、ガロットの最初のものは英語の通訳による。)の内容について見ると、被告人ら及び原審相被告人らがタガログ語の理解力に乏しかったわけでないことについては、既に述べたとおりである。また、これらの供述調書に録取された供述内容は、自然であって、特に互いの間の言い分の食い違いや、自己に有利に供述していると見られるような部分が少なからず見受けられ、本人の供述がなければ記載が困難と考えられるような部分も少なくないのであって、その点に照らしても、捜査官側であらかじめ立てた筋書きに従い誘導し、あるいはこれを押し付けたような内容のものとは見がたいし、取調警察官らの原審証言によっても、そのような不当な取調べをしたことはないことが認められるのであって、所論のように言語能力の不足を利用し不当な取調べがされた事実は窺われない。

5  さらに、捜査段階における英語の通訳による供述調書、すなわち被告人ララナン、同バリニギット及び原審相被告人アガディールの司法警察員に対する各供述調書(ただし、ララナンの最初のものはタガログ語の通訳による。)の内容についても、以上のタガログ語での供述調書と同様の特徴を備えている上、当該被告人が作成して供述調書の末尾に添付されている図面にはそれぞれ英語による記載があること、取調べに当たっては、英語が理解できるとしてこれによる取調べに応じた者のみが英語での取調べを受けており、取調官や通訳人が意思疎通のできることを確認した上で取調べを行っていることが、関係の取調官の原審証言により認められることなどにかんがみると、いずれも英語での意思疎通が困難な状態にあったとは認められない。そして、これらの内容を後の検察官の面前におけるタガログ語による供述を録取した供述調書と対比してみると、英語による供述調書の内容はタガログ語のそれとよく符合しており、これらの点を併せ考えても、英語での取調べにおいて、所論のような捜査官側の誘導や押し付けといった不当な取調べはなかったことが窺われるし、以上のほか、取調警察官らの原審証言によっても、所論のような取調べはされなかったことが認められる。

なお、被告人ララナンにつき付言すると、同被告人は、当審において、秋田弁護人の英語による質問につきその意味をほとんど理解できない旨答えているけれども、たやすく信用することができず、そのように装っているにすぎないものと認められる。なぜなら、その司法警察員に対する供述調書には、右のような特徴があるばかりか、例えば、逮捕当初のそれには、被告人ガルシアが被害者をナイフで刺し、自分はそれを五メートルくらい離れた所で見ていたにすぎないとの記載があるのに、数日後のそれは内容が変わり、原審相被告人ガロットに知られると殺されると思って嘘をついていたが、本当はガロットが被害者を刺し、自分は見張りをしていたとの記載になっているように、明らかに、捜査段階では英語により自己の思っていることをそのまま自由に述べていることが認められるからである。

6  所論は、被告人らのタガログ語や英語の能力は我が国の大学教育における第二外国語程度のものにすぎないというが、フィリピンではタガログ語のほか英語も公用語として使用されているところから、既に述べたように社会生活のいろいろの場面でタガログ語や英語に触れる機会があるといえるのに対し、我が国ではいわゆる第二外国語はもちろん第一外国語の英語ですら社会生活の場では使われていないという点に大きな違いがあり、したがって、第二外国語の程度にしか理解できないものというのは早計である。

7  また、捜査段階におけるタガログ語及び英語の通訳人の通訳能力については、供述調書の記載内容や取調警察官らの原審証言によっても、当該通訳人の能力と通訳の正確性に特に疑問を差し挟まなければならないような点は見受けられないし、警察官が通訳人となっていたという一事をもって通訳人が不公正であるともいえない。

8  その他、被告人ララナンの自白調書は、警察での取調べの際首を吊ると脅迫された結果作成されたもので任意性がないという所論については、取調警察官である原審証人島田勝治の証言によると、そのような脅迫の事実は認められないのみならず、被告人ララナンも、原審及び当審公判において、そのような脅迫をされたとはいうものの、どのような状況の下で脅迫されたのか具体的な供述をしていないことからして、同被告人のこの点に関する供述は、たやすく信用できない。したがって、右所論は採用できない。

原審相被告人ガロットの検察官に対する自白調書は、警察官の加えた暴行により得られた供述をそのまま録取したもので特信性がないとする所論についても、取調警察官である原審証人穂積勝志の証言によると、そのような暴行の事実は認められないのみならず、ガロット自身も、原審公判において、そのために自白したのではなく、本当のことを言わなければならないとの真剣な気持ちから真実を述べたものである旨供述しているのであって、暴行による自白とはいえないことが明らかであるから、右所論は前提を欠く。

9  以上のとおりであって、被告人ら及び原審相被告人らの言語能力並びに通訳人の能力、公正さを問題とし、あるいは捜査官による暴行、脅迫を前提とする訴訟手続の法令違反に関する所論は、いずれも理由がなく、被告人ら及び原審相被告人らの捜査段階における供述調書の任意性、特信性を含めた証拠能力についてはいずれもこれを肯定することができる。その余の所論に検討を加えても、原審の訴訟手続に所論のような法令違反はなく、論旨はいずれも理由がない。

〈注、その他の控訴趣意に対する判断は省略する〉

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中、被告人ガルシア、同バリニギットに対してはそれぞれ四五〇日を、被告人ララナンに対しては四四〇日を原判決のそれぞれの刑に算入し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人らにこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 神田忠治 裁判官 小出じゅん一 裁判官 飯田喜信)

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